私に任せてください!院長プロフィール
医療法人社団 皓明会 伊藤歯科医院
院長: 伊藤 光一(いとう こういち)
- 1988年3月
- 城西歯科大学(現明海大学歯学部)卒業
- 1988年4月
- 明海大学病院歯内療法学講座入局
- 1991年6月
- 現地にて 伊藤歯科医院開業
- 2010年
- 南カルフォルニア大学研究員
- ISO 9001-2000 認証取得
- 厚生労働省指定育成医療機関
- EL,YAG レーザー臨床研究会会員
- 日本ヘルスケア歯科研究会 会員
- 日本抗加齢医学会(アンチエイジング)会員
- ITIインプラントコース終了
- Screw Ventインプラントコース終了
- 厚生労働大臣認可 歯科医師臨床研修医取得
- ICOI(International Congress of Oral Implantologists)インプラントフェロー
- ICOIエリアアシスタントディレクター
- AIAI(国際インプラント学会)インプラントフェロー
- OAM先進インプラント認定医
- 南カリフォルニア大学アンバサダー
院長 伊藤光一からのメッセージ
こんにちは、院長の伊藤光一です。
まずは、伊藤歯科医院のスタッフを褒めて下さる患者様と地域の皆様にこの場を借りてお礼を言わせて下さい。
「本当にありがとうございます。」
患者様が伊藤歯科のスタッフ褒めてくださるのは、本人の頑張りもありますが、親御さんの愛情があってのことだと思います。ありがたいことです。
さいたま市でそんなスタッフや患者様と出会えたのも何かの縁でしょう。
“縁”といえば、なぜ、大阪府出身の私が埼玉県で開業したのか?というよく聞かれる質問にお答えいたしす。
私は、大阪府でアパレル関連の仕事をする厳しい父親に3兄弟の長男として育てられました。
ファッション業界で活躍する父をみて、少年時代はファッション関係に興味はありましたが、青年期に自分の進路を考えているときに、
私の主治医であった先生(明海大学(当時城西歯科大学)の学長の息子さん)に“医療人としてのやりがい“を聞かされ、
強い興味を持ったのがきっかけです。
(中学生の時に書いた文集を紐解けば、「将来の夢:歯科医師になる」と書いていました。)
複数の大学を受験し、合格した大学の中には、大阪歯科大学と明海大学(当時城西歯科大学)も入っていました。
歯科大学2校のうち、埼玉県の大学を選んだのは、主治医の影響と、未知の地で勝負しよう!という冒険心でした。
この道を選んだ以上は、「ダメでしたぁぁ!(^-^);」と大阪に戻るのは嫌なので、徹底的にやろうと決めたのです。
「急がば回れ」といいますが、大学卒業後、「歯科治療の基本は、
歯の根っこの治療。まずは徹底的に基本を究めよう!」と大学病院の歯内療法科に入局し、臨床と研究を続けました。
もちろん、大学のトップは教授ですが、私の場合、教授を目指さず、よい臨床家になるのが目的でした。
歯科大学研究生の給料は少ないので、普通は歯科医院でアルバイトをして生活費を稼ぐわけですが、
バイト先を探そうとたまたま見学に行った歯科医院が、のちに顎咬合学会の会長になる立派な先生でした。
治療技術もこだわりも、明らかにほかの開業医とは違う高レベルだったのです。患者様のためには妥協しない姿勢に感銘を受けました。
この“縁”もラッキーでした。頼み込んで、無給のバイトとしてもぐりこみました。
当時、大学では、バイトは週1回までと決まっていましたが、大学より高いレベルで学びたくて、教授に煙たがられながら週3回通っていました。
お金よりも何よりも、「歯科医師としての成長」が大事でした。
無給で3か月働いたころに尊敬する先生から初めて5万円を頂けた時はうれしかったです。
そんな私ですから、今でも、若い歯科医師が面接に来て「伊藤歯科で多くの給料をもらいながら勉強をしたいです」と言われると、
彼らに言いたくなります。「高校生だって、勉強を習うときには塾にお金を払うぞ!」「歯医者は、お金をもらって勉強するのか…」と。
(歯科医院は勉強をする歯科医師のためにあるのではなく、患者様のためにあるのですから、当医院のドクターは、十分な訓練を積んでいます。
さらに患者様がいないところでたくさん勉強をしていますのでご安心下さい。)
さて、勉強のまま人生が終わってはいけません。それを、社会に生かさなければ意味がないわけです。
そこで学んだのは、「技術」だけではありません。この頃に決めて、今でも守っていることがあります。
これが伊藤歯科の柱になっています。
それは「患者にとって正しいことをすること!」
歯科大学は、歯科医師のためにある教育機関なのですが、本来、歯科医療は、患者のためにあるのです。
この当たり前のことを確信し、目的がはっきりしたのが、28歳の時です。
私が、「人を幸せにするための歯科医療は、
他の歯科医院で働いていてはできない。」と感じたのも28歳の年です。自分でやるしかない!同年、伊藤歯科をオープンしました。
さいたま市に素晴らしい歯科医院を作りたくて、頑張るわけですが、その努力に終わりはないようです。 私の亡き父が教えてくれたことは、「人の役に立て」「学びに終わりは無い」ということです。
「お父さん、3人の息子たちは言いつけを守って頑張っていますよ。」
今の私は、優秀な勤務医に恵まれたおかげで、たまに歯科医院を留守にして勉強を続けさせてもらっています。
40歳半ばを過ぎてからも、USC(南カリフォルニア大学歯学部)で勉強し、無事卒業。大学から、
「南カリフォルニア大学歯学部提携歯科クリニック」と認められました。
「学問は、人を幸せにするために存在し、医療(伊藤歯科医院)は、
患者様のためにある」という基本を理解してくれているチームメンバーは、さらに
「伊藤歯科医院の歴史は、過去を思い返すのではなく、自分たちが作るのだ」という気持ちで頑張っています。
伊藤光一は、このチームメンバーと私たちを選んでくれた患者様に感謝しながら、これからも走り続けたいと思います。